神秘の火とデコポンの町(不知火紀行・終)
熊本県不知火町(しらぬひまち)、は、内田康夫の「不知火海」が出版されたころは独立した自治体だったが、2005年に周辺自治体と合併して宇城市(うきし)となった。
しかし、不知火、をしらぬい、と読むだけでも「これを読める私ってすごい」と万人を勘違いさせるレベルの難しさなのに、地名のふりがなは「しらぬひ」で、「ひ」は「い」と読ませるのだそう。
カーナビがしきりに「シラヌヒマチ、シラヌヒマチ」と、「ヒ」のまま発声していたのが面白かった。
熊本市内で用事のあるオットを降ろし運転席に乗り込み、カーナビにセットしたのは「道の駅不知火」。
今回の目的地は、この道の駅と、そこから一本道で数キロ離れた「永尾剱神社(えいのお つるぎ じんじゃ)」だ。
このムツカしいけどカッコイイ名前の神社が、不知火を見る名所なんだって。
博物館の九州男児が教えてくれた松橋駅にも行きたかったけど、慣れないレンタカーで知らない道をあちこち走るのが嫌で、2箇所にしぼった。
(以下、ぐだぐだ書いてますが、この↓アルバムを見れば大体わかるので読まなくてもいいっす。・・・)
アルバムへのリンク https://photos.app.goo.gl/Kar8gYi4GMxD43N76
熊本市内から1時間弱、走りやすい国道をほとんど道なりに進むと、宇城市に入った。カーナビの指示で右折。カーブの多い海岸線をしばらく走ると、右手に道の駅不知火が。
連休最終日の夕方だったが、結構にぎわっていた。
いよいよ、不知火の情報が山のように集まるだろうと期待し、くまなく施設を見て歩く。
・・・しかし、山のように集まったのは、デコポン情報だった。。。
というのは、実はデコポンというのは、旧不知火町が発祥の地。
デコポンは商品名で、品種名はなんと「不知火」!
物産館にはデコポン商品がずらり、駐車場にはデコポンの記念碑。
軽食コーナーにはデコポンソフトクリーム。
不知火そのものではなく、後発のデコポンのほうが有名になっちゃったのね・・・
特に観光案内ブースのようなものは無く、物産館の何箇所かに、永尾神社の場所や、不知火の一般的な解説が貼ってあるだけだった。
掃除していたおばさんに、
「永尾神社に行きたいのですが、駐車場はありますか?」と聞くと
「あるある。右に曲がって、ずーっと走ったら、海岸に鳥居が見えるでしょ。そしたら、右側の斜面をのぼっていくと、地面が平らになってて、車泊められるから!」と丁寧に教えてくれた。
(実はこの説明にトラップが・・・・)
ちなみに物産館で、「不知火」にまつわる商品を探したのだが、「不知火」という名前の720mlくらい、陶器入りの焼酎と、「不知火ポン酢」というデコポンをつかった500mlくらいのガラス瓶入りポン酢だけ。。。飛行機に乗せるのはやだな。。。とあきらめた。
あまり暗くならないうちに、道の駅を出て神社へ向かった。
おばさんの話どおり、海岸線の左手方向に、海中鳥居が見えてきた。その右手の小高い丘が神社だろう。
神社の丘の前まで来ると、交差点。左手には神社の鳥居と参道、さらに右手には、神社の丘と同じくらいの丘が。
ああ、おばさん、きっとこの向かいの丘に止めろ、って言ったのだな、と、右折して右側の丘を登って行ったのだが・・・
どうも、農家の庭先のようなところにたどりつき、丘を降りても延々とみかん畑などが続いているだけだった。
あれー、おばさん右っていったのに!確かに右って!
軽く迷いながら、道を戻りつつ車を止めるところを探すと、小さな集落にたどりつき、玄関で玄関マットを掃除しているおじさんが!
「あのう、永尾神社に行きたいんですけど、車止めるところありますか?」
「うん、神社の中に入ってくと、駐車場あるよ」
「あの鳥居をくぐっていいんですか?」
「うん、狭いけど大丈夫だから」
とやさしく教えて下さったのでした・・・・
(おばさんが言ってたのは、海の鳥居よりも右側の坂を上れ、ってことだったのかな?汗)
元来た交差点まで戻り、車幅を心配しながら(小型車でよかった。。。)鳥居をくぐって進むと、確かに3台くらい止められる駐車場があった。
ただし、でかいオートバイの先客がいて、ちょっと止めるのに苦労。やはり小型車でよかった・・・
駐車場は、神社本殿の裏手にあり、本殿は海のほうに向いて立っていた。
境内でオートバイの主と思われるお兄さんに「こんにちは」と挨拶されたが、ちょっとシチュエーション的に盛り上がりたくなかったので(そろそろ夕暮れといううら寂しい神社の境内だし)
「こ、こんにちは」と挙動不審気味に返してたら、すぐに帰っていかれた。。。ホッ
おまいり後、事前に他の方のブログでもチェックしていた、八朔にまつわる看板や神社由緒などを撮影。
参考にしたブログ
七転び七起き エイがえいこらしょっと海から? 「永尾神社」
熊本の方?
など。
ちなみに、「えいのお」というのは、この神社のある宇土半島が、魚のエイの尾の形に似ているからだと博物館のお兄さんも教えてくれた。さらに「つるぎ」が付くのは、この半島を剣に見立てているからなんだって。
不知火以外にも、昔からの色んな言い伝えがあるんだな。
境内からは海を見渡すことができ、海に向かって石段が降りている。海岸の海中鳥居も200メートルくらい向こうに見える。
石段をおりていくと、ちょうど中腹くらいに、また海を見渡せる広場が。八朔の日には見物客でにぎわうのだろう。
いよいよ海岸までたどり着くと、干潟の海に建つ海中鳥居。私は安芸の宮島にも言ったことがないので、海中鳥居を実際に見るのは始めてかも。
平成11年の台風18号の際には、高潮で神社自体が被害を受けたというから、この鳥居も海に沈んだのかもしれないが、そんなことは思いもよらないほど、浅瀬が広がる穏やかな海だった。
本当は、日暮れまでここにいて夜景を撮影したかったのだが、やはりあまり人気も無く物騒なので、一旦道の駅に戻ることに。
この帰り道にミラクルが・・・さっき、玄関先で道を教えてくれたおじさんが、交差点のところを歩いていたのだ!
その上、私が右折して、道の駅方向に帰りやすいように、ボタンを押して信号を赤にしてくれた!
もしかして、心配になって見に来てくれたのかな・・・
女一人で変なところをウロウロしてスミマセン。スミマセン。
車の窓を開けてせいいっぱいお礼を言いながら帰ってきました。。。
確かこの時点で、17時半くらいだったろうか。知床では、この時期とっくに真っ暗になっている時間だが、さすがに西の国はまだ明るい。
日没は18時半なので、道の駅の温泉に入ることにした。(実はカメラのバッテリーが切れそうで、受付で充電してもらおうという魂胆もあり)
入浴後、駐車場の展望台へ。19時前には出なければいけなかったので、完全に暗くなるところは撮れなかったけど、対岸の明かりが連なる様子は撮影できた。
なるほど、海越しのせいもあるのか、かなり夜景は揺らいで見える。
これが激しく起こると、「怪火」状に見えるのかな。
そもそも、海はかなり穏やかで、この時期でも条件が揃えば、普通に上位蜃気楼が見えるのでは?!という風景だったのだが。。。。
もしかして、側方蜃気楼じゃなくて、上位蜃気楼が動いて、明かりが横に広がったり、明滅したりしていた可能性もあるよな・・・
一年くらい、観測に通えたら楽しそうだけど、この土地で「蜃気楼説」を広げるのは難しそうだ。
何しろ神代の昔から人々に信じられている怪火、千年単位の歴史に立ち向かわねばならない。
まあ、本で読んで知っていたことではあったけど、本当に同じ日本に、蜃気楼に関わる、ふるーい言い伝えを色濃く残した土地がある、という不思議を痛感した旅だった。
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