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不知火の海へ(不知火紀行・序)

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いつか長崎市をゆっくり旅するのが夢だったので、年の始めに「今年の秋の旅行は長崎に行く。」と家族に言われたとき、深く考えずに生返事をしてしまった。




頭の半分では、きっとその頃には転勤して、私も無職になって暇だろうし。と考えていたし。

そして春がきて、転勤することもなく確実に季節は巡り、知床に一足早い秋風が吹く頃になっても、あまり実感もわかず…まぁつまり簡単に言うと、気乗りしない?

何しろさいきんの頭の中、八割型、蜃気楼なもので。長崎小夜曲♪やら絵はがき坂♪を口ずさみながら熱帯の坂のまちをフラフラ「さ」るく。 という気分にはなれなかった。

しかし始終蜃気楼づけでいた甲斐があったのか、神様はギリギリ、出発三日前にインスピレーションを与えてくれたのだ。

「そうだ、不知火海にも行こう」

不知火(しらぬい)、とは、由来が日本書紀だったかにまでさかのぼるという、熊本県八代海などに現れる「怪火」で、科学的には蜃気楼現象、しかも激レアの「側方蜃気楼」だとされている。

その不知火が登場する、「不知火海」という内田康夫の推理小説があって、不知火海という言い方は不知火が見える九州の海のこと(※4回目で詳しく)だ。

まあ、その現象を見ようと思って現場に行くわけではない。これまで読んだ情報から、たぶん「出ない」んだろうなと思っているし。

そもそも、不知火というのは、蜃気楼現象だと昭和40年代に明らかにされてからも、あまり蜃気楼としては売り出していないふしがある。

昔からの言い伝えで、旧暦8月1日の明け方にだけ出る、とされていて、観測会もその時間にあわせて今でも行っているらしい。

改めて内田康夫の「不知火海」を読み直すと、その歯がゆさを的確に表した、主人公の浅見光彦と地元の女性とのやり取りがあった。


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「それがよく分からなくて。とにかくこの日に出るのだから仕方なかと……それが定説になっておって、その摩訶不思議なところが不知火の不知火たるゆえんだと言われました」
「ほう、それで納得しちゃったのですか?」
「納得はしませんけど、現実に八朔の夜になるとでるのですから。その理由や原因が分からないからといって、抵抗してもしようがないでしょう」(中略)
「みんながそれを信じて『不知火まつり』という、いわば不知火町を挙げてのイベントを開催しているのです。それに水を差すようなことはできませんしね」
内田康夫「不知火海」第5章より 

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引用ここまで

大人の事情、というやつか…

いや、そもそも、昔からの言い伝えを読み直すと、はて、これは本当に蜃気楼なんだろうか、という感触はある。

一つ現れた光が、みるみるうちに横方向に広がって、というあたり、側方蜃気楼だけでは説明できない。

地元の人も、その辺の気持ちが強くて、あえて曖昧なままにしているのかもしれない。蜃気楼ってあれでしょ、遠くの景色が見えるとかいう。そんなつまらんもんと一緒にされたくなか!

(何弁?)

とか・・・

不知火が見える国、→火の国→肥後の国、肥前の国 に転じた

という話まであるし・・・

かなり奥が深そうなので、なにかを解き明かそうとか写真を撮ってやるとかいう強い志ではなく。

物見遊山的なことは否めないが、長崎からそれほど離れていない(道民的には)、熊本県の「不知火町」(現・宇城市内)への旅程が追加され、気乗りがしなかったときにくらべるとだいぶ前向きになれたのだった。

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