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震災と予報士と蜃気楼

By 18:01:00 ,

流氷原の蜃気楼を探す図
まもなく、東日本大震災から5年です。


と、書いてはみたけれど、それほど、かの震災と真面目に向き合って生きているほうではなく、ボランティアなどに出かけられたり、継続して支援活動をされているみなさんには頭が下がります。

ただ、自分の中では、紛れもなく人生のターニングポイントでした。
斜里町に来て、勤め先に提出した履歴書に「気象予報士」と書いてしまったものの(あまり関係なさそうな職種に出すときは書かないときもある、話がややこしくなるので)、私はれっきとした、いわゆる「ペーパー予報士」。
その上、受かってから約10年間、前職で某技術の習得に青春をかけていたので、気象のことはすっかり忘れてしまっていました。
そのため、社会教育機関であるその職場で、気象の講座や講演をやってみない?と言われても、最初の一年は「無理ですムリです、ぜったいにっ!!!」とお断りしていました。

それが、気持ちが変わったきっかけが、実は東日本大震災でした。
もう北海道のほうが住んでいる期間も長くなってしまったとはいえ、私は岩手県出身です。
ふるさとが嫌いで出てきたわけではありません。
(なんとなく、気づいたら北海道の人に・・・汗)

地元は内陸なので、今回の震災での被害はほとんどなかったものの、
当日、実家にいた母は、揺れているあいだ中、
「庭に出て孫と抱き合っていた。世界が終わるかと思った」と証言。

岩手出身なのに・・・だからこそ、その恐怖すら、その場で味わっていないという、申し訳なさ。
せめて味わえていたら・・・という無力感。
とてもボランティアに行って、同胞たちを励ますような強い心は持ち合わせていませんでした。

そこで、せめて・・・と、心のスイッチが、変なところ・・・違うところに入りました。
自分が求められて、やれることなら、いや、ちょっとくらい無理してでも・・・
やってみよう、かな・・・と!

予報士を取ってから、実は別のトラウマも抱えてしまったこともあり・・・
それほど責任のない立場で(臨時職員として単発の講演をさせてもらう)、とはいえ。
気象のことに携わるのは、自分では清水の舞台から飛び降りるような思いでしたが・・・
2012年、初めて、気象に関する講演を引き受けさせていただいたのです!

はい、実は、そうだったんですよー。(なのであんな内容に)
(^^;;;

そこから、なぜか蜃気楼に熱を上げる今につながるまで、のストーリーは、比較的とんとん拍子というか。

まず、講演に来ていた、友人でもあり、地元誌編集を有志と続けているN氏から、連載を頼まれました。
斜里の気象に関する、コラムを書いてもらえないかー!と。
これまた、ぜったいムリムリ!
と冷や汗をかいたのですが、彼女の情熱に負け・・・
思い切ってやってみたら、結構面白くなりました。

で、ここからは、よく蜃気楼の話のときにもよくご紹介するのですが、その地元紙・シリエトクノート編集部員でもある観測部長こと、Kさんと一緒に蜃気楼を探し始め。
(これも、自分的には、シリエトクノートのネタになれば!?という思いも最初は強かったのです・・・汗)

わらしべ長者のように、震災→気象予報士としての活動→蜃気楼の活動、とつながったわけなんですよね。

今では写真のように、マフラーグルグル巻き・ムクムク防寒着で、好き好んで流氷の打ち寄せる海岸で蜃気楼を探すのが楽しい、という変人に!

いつかはまた、どこかに、このご縁がつながって・・・
東北や全国に、何かが広がっていくといいなぁ、と今では漠然と思っています。
夢をありがとう、蜃気楼。

・・・と、他の方には、聞いても何の特にもならないような、身の上話でした。
最後まで読んでくれてありがとうございます。

ま、ムリと思っても、思い切ってやってみると、時にはいいことありまっせ!というか。
そんなオチです。


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